「告白」町田康

町田康の告白をAmazonのKindleアプリで読んだ。

Kindleアプリの良いところはいつでもどこでも開けるというところなんだけど、面白すぎて仕事をサボりながらも読み切った。

比較的長い小説だけど長さを全く感じさせないほど面白かった。そこで気づいた点をいくつか書いておこうと思う。

明治時代の話なんだけど、主人公の熊太郎の悩みは現代人に当てはまる。もちろん、そのように書かれているからなんだけど、その当てはまり方がエグい。多くの人が自分と世間とのズレを感じながら生きてると思うんだけど、その部分が実に上手く書かれている。

でもさぁ、多くの人がズレを感じているのに、多くの人の集まりである世間と自分がズレているっていうのはどういうことなんだろうね。

実は全てがズレてるっていうこと?つまり世間というのは自分が作り出した想像の産物?それともマスコミや教育によって産み出されたもの?

ともかくそういう内面の描写が凄かった。

あと、文体。この小説には多分3つの文体が出てきている。

大阪の河内が舞台なので、1つはセリフなどの河内弁。2つ目は小説の文体、標準語というか文学的なやつ。3つ目は作者のツッコミとしての関西弁。といっても作者も泉州の出身なので河内弁と近いのでここは怪しいんだけど、現代的な関西弁も出てくる。河内弁と関西弁は区別が難しいけど現代的な関西弁の方が理解しやすいから登場人物のセリフや心理描写も河内弁から関西弁の翻訳があると思う。

でも違う文体を同居させるのは相当難しいよね。「である調」と「ですます調」の同居だけでも難しいでしょう?どうしても間違えてるやつと思われがちになる。

それらが上手く同居していて、リズミックに書かれている。だからこそ、心理描写なんかがスルッと心に入ってくる。

主人公達の行った行為についてもポイント。この小説の元ネタは「河内十人斬り」というもので、名前の通り10人が惨殺された事件。今で言えば大量殺人なんだけど、当時の彼らはある種ヒーロー視されたらしい。ある意味ピカレスクロマンで、小悪党が大悪党を倒すみたいな話である。だけど、主人公はあくまで私怨として復讐しただけで、結果的に支持されたに過ぎない。

なんか似てるなぁと思ったら安倍元首相銃撃事件だった。この犯人も一部には支持されてるね。多くの人が暴力を否定しているけれど、暴力によってスカッとする人たちがいるのは事実だし、暴力によってしかどうにもならない人もいるんだろう。どのようにそうなってしまったのかっていうのはこの小説の大きなテーマだと思う。

例えば、感情にまかせて上司に辞表を叩きつけるというのも同じだよね。スカッと感と後悔の入り混じった感じとかが。暴力的な意思を持った行動は物理的に何かを傷つけなくても自分の中では暴力行為なんだろうな。

他にももっと書きたい気がするけど、疲れてきたからこのへんで終わりにします。

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